カテゴリー「旅行・地域」の5件の記事

2009年10月28日 (水)

台湾占いレポート 日本語占卜

 台湾は占いの盛んな土地柄です。地元の人たちの生活に占いは密着しているそうで、有名どころは占い横丁ですが、フリーの占い師さんも大勢活躍し、迷える人たちに助言をしてくれています。ガイドブックを読むまで台湾がそれほど占いが盛んだと知らず、直前になってあわてて、占い師さんのあたりをつけました。通訳付きは遠慮したかったので日本語のできる人で探したのが、許金鑾先生です。

台北市西門町の峨嵋街通りにある「日本語占卜」の黄色い看板を掲げているビルの3Fが許金鑾先生のオフィス兼自宅です。要予約で予約時に出生データを伝えるスタイルらしいのですが、直前30分に電話しますと、「出生時間はわかりますか」と聞かれ、「わかります」と答えると快く引き受けてくれました。
 詳しくは知りませんが、紫微斗数占いは正確な生年月日・出生時間・出生場所のデータを必要とする、東洋のホロスコープと呼ばれる占術です。「数命盤」という12宮に区切られたチャートの中に星が配置され、それを元に運勢を読み取っていきます。人生全般を俯瞰できる占いで西洋占星術に近いですね。今回、私は飛び込みに近かったので、用意していただけなかったのですが、事前予約すると占い結果を詳細に記したレポートを中国語と日本語で用意してくれるそうです。今回は目の前で数命盤を書いて渡してくれました。

 雑然としたショッピングアーケードの雑居ビルの階段を上り、チャイムを鳴らすと許先生が日本語で出迎えてくれました。許先生は日本占領時代の生まれなので、日本語が大変お上手です。デスクに差し向かいに座ると今回、レポートを用意できないので、占術内容を自分で書きとめるようメモ用紙とペンを渡されました。出生データを聞いた後、先生は手にすっぽり収まる装置を元に、数命盤に次々と星を書き込んでいきます。さて内容ですが、開口一番が「あなたは情け深い人」。終始、それは言われました。今まで、他人に優しいと言われたことがほとんどないものですから、??という感じでしたが、結婚・仕事・健康・お金・家族・対人関係・目上、目下との関係・子供・親兄弟など、次々に結果を告げられる中で、ピンとくるものがありました。おそらく、西洋占星術で使用する同じ星の配置を違う解釈で読んでいるのだろうと。紫微斗数で使用する星は流派によっても違うらしいのですが、100はあるそうで、その中でもどうやら月を重視するようです。「あなたの月は真昼の月」。確かに正午の生まれです。出生図では月・金星は合で海王星とはトラインです。これを元に「情け深い・社会に奉仕する」と解釈したのではないか....と推測しました。極めつけは「あなたような人は昔は尼さんになって、世の中に尽くしたのよ」とも。社会に貢献したいという気持ちはありますが、人生全てを捧げる決心は付いてません(笑)。

今回は人生全般の他に特に「子供はできるか?」について重点的に質問しました。結婚して○年、自然にできなかったら、まあ出来にくい部類でしょう。西洋占星術でも子供はできにくく、またできても子供でえらい苦労する、という暗示はでていますので半ば諦め気味だったのですが、何と紫微斗数でも全く同じ内容を告げられました。なかなか子供には恵まれず、かつ子供には手がかかると。子供がいると世の中に尽くすことができなくなるので、子供が出来にくいそうで、「あなたはこの世に子供を産みにきた女じゃない」とはっきり言われた時には、さすがにびっくりしました。東洋系の占いは吉凶を断定的に告げるとは聞いていましたが.これほどとは....私がよほどショックを受けた顔をしていたのか、先生は今度は「子供がいてもいいことはないわよ」と必死にフォローに回りました。「私は4人産んだけど、息子の1人には手がかかってね、あの子1人で20人分くらいの子育ての苦労をしたわ」とご自分の子供の苦労話で、一生懸命なだめようとしてくれました。しまいには、針入り水晶のブレスレットをお土産に持たせてくれて、慰めてくれました。感謝です(涙)。

長年西洋占星術を学んできましたが、他人に本格的に占ってもらうのは初めての経験でした。自分である程度できるため、観てもらう必要性を感じなかったためですが、人生経験豊富なプロの占い師に観てもらうのはまた新鮮なものです。とりわけ許先生は言いにくいこともズバッと言いますが、強さと柔らかさの入り混じった雰囲気を醸し出し、芯の強さと穏やかさを兼ね添えたお人柄が伺えました。頼りにしているリピーターが大勢いるのも頷けます。台湾に行かれる予定のある方で、占いでもと考えているなら許金鑾先生は、お勧めかも。こちらのサイトに、もっと詳しいレポートが載っていますので、参照してくださいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月17日 (土)

台湾旅行は3ハウスの旅行でした

 日本を脱出すべく二泊三日で台北へ行ってきましたが....ちっとも脱出した気がしません(笑)!台湾は日本と共通点が多く、まるで国内旅行をした気分です。台北市内は日本企業の看板が目につき、街を行き交う人も日本の地方都市に普通にいそうな人達ばかりでした。

 占星術上、移動・旅行は3ハウスと9ハウスで見ます。大雑把に短期・国内が3ハウスで長期・国外が9ハウスとされていますが、実際には移動の距離感覚は個人差が激しい分野です。私個人の感覚では、日本に近い国々は3ハウスの国内旅行の延長の感じを受けました。もちろん、人によっては隣の県境までが”国内”だったりするわけです。

 とは言いつつも、台北名物の夜市、故宮博物館、整体マッサージ、ショッピング、グルメ、占いとひと通りの観光は楽しんできました。日本語が良く通じ、何より治安がすごく良い。夜市でコインをばら撒いてしまったのですが、地元カップルが後ろから「落としましたよ(と台湾語で)」声をかけて拾ってくれたのには、感激しました。治安の悪い国なら考えられません。台湾にリピーターが多い理由の一つに、この治安の良さがあると思います。また機会があればリピートしたい国です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月24日 (月)

「太陽のワカ 月のワカ」と「チャンチャン遺跡」 ペルー旅行日記③

マチュピチュとナスカの地上絵がペルー旅行のメインですが、それだけではもったいないとツアーに組み込んでもらったのが、「太陽のワカ 月のワカ」と「チャンチャン遺跡」。両方ともペルーの海岸沿いに位置します。インカ帝国以前、アンデスに栄えた数々の文明は全部ひっくるめてプレインカと呼ばれています。その内の一つ、モチェ文化(紀元前後~A.D700)の遺跡が「太陽のワカ 月のワカ」です。太陽のワカが要塞で、月のワカが神殿施設として作られ、対になっています。それぞれ1憶数千個もの日干し煉瓦で造られていますが、風化が進んでいて、遠目には乾いた小山のように見えます。発掘が進んでいるのが月のワカで、太陽のワカは立ち入れません。現地ツアーガイドの説明によると、およそ100年に1度の頻度で大洪水(ニーニョという)が起こるので、日干し煉瓦の神殿は崩れてしまい、その度に新しい煉瓦を積み重ねて神殿は大きくなっていったそうです。遺跡はバウムクーヘンのように8つの層が重なり、垂直に掘り進んだ箇所は時代ごとに重ねていった層が年輪のように現れ、下層に行くほど古くなっています。古い層の方が日干し煉瓦で覆われているため、色鮮やかなレリーフが残っています。モチェの民は祈りを込めて生贄を神殿に捧げました。全裸の人物が数珠なぎに縄で引かれているレリーフや、発掘された人骨から人間を頻繁に生贄として捧げていたことが判明しています。プレインカの慣習で生贄は全裸にするからです。雨乞いの儀式では戦争の捕虜をアイ・アパエックという人間と蛇とコンドルが一体化した創造神に捧げていました。砂漠地帯で基本水不足なのに、15年周期で 洪水がくる土地なので、モチェの民にとって切実だったに違いありません。Photo

やがてモチェは衰退し、海岸地帯の別に土地に移り住んだ民が作ったのがチムーです。チャンチャンは紀元1100年頃からインカに征服されるまで栄えたチムーの首都でした。雨の降らないペルー海岸沿いの遺跡はみな日干し煉瓦で造られているのですが、劣化が激しく、世界遺産の危機遺産に指定されています。20km四方にも及ぶ広大な遺跡ですが、見学できるのは1区画のみ。王宮や王墓、貯水池などが配置された遺跡内部は、侵入者対策として迷路のような造りになっていて、迷いそうになるほど。崩れ落ちかけた遺跡の往時を想像するのは大変でしたが、ガイドさんの、近隣地域から貢物を携えた使者たちが大勢やってきた話を聞きながらイメージを膨らませていました。チャンチャンは彩色は残っていないものの、魚、リス、ペリカン、網といったモチーフは残っていて、それぞれについてガイドさんの説明を受けました。宮殿内部の魚やペリカンが連なっているモチーフは方向指示器のようなもので、こっちの方角ですよと教えています。リスは多産の象徴で妃たちの居室の壁を飾っていました。

Photo Photo_2 Photo_3モチェもチムーもインカの源流の一つです。アンデスの様々な国・地域を征服し、文化を吸収した上でインカ帝国は花開き、そして100年足らずでスペイン人に滅ぼされました。歴史に「もしも」は禁物だと思いますが、「もしもスペイン人に征服されなかったら」アンデス世界はどんな独自の発展を遂げていたのでしょうか。乾いた海岸べりを見やりながら埒もない空想にふけっていました。

| | トラックバック (0)

2009年8月23日 (日)

ナスカの地上絵 ペルー旅行日記②

マチュピチュの次はナスカへ。

ナスカの地上絵を観るために、ナスカ遊覧飛行ツアーに申し込んでありましたが、当日はあいにくの曇り空。飛行場で天気が回復するまで一時間以上も待たされ、こんな遠くまで苦労してやってきたのに.!とじりじりしていましたが、ようやく晴れ間が指していざ飛行機へ。このツアーの参加者は何故か全員日本人で、待たされている間、TV番組「THE 世界遺産」のナスカ平原の回を見せられました。事前の説明としては分かりやすく助かりましたが、やはり日本人観光客が多いでしょうね。搭乗したセスナ機は座席が15席ほどの大きさです。窓際席を友人に譲ったため、私は真ん中の席で視界は良くありません。思ったより乗り心地は悪くはなかった.のですが、お目当ての地上絵を良く見せようとパイロットが上空を何度も旋回するので、ちょっと苦しかった。地上絵を見た!という感動は少し薄れ気味でしたが、気合で見るべしと猿、ハチドリ、コンドル、クモ、人物像(別名宇宙飛行士)、手、などを眼に焼き付けてきました。ただ上空から見た地上絵は、不思議なことに思ったより小さく感じました。期待と妄想が大きすぎたのかもしれません。ナスカ平原は表面が白っ茶けた山と海に挟まれた土地ですが、そこに縦横無尽に線が走り、三角形や台形が埋め尽くし、ぽつんぽつんと動物絵が配置されている.これは一体何??という疑問符しか頭に浮かびません。今思い返しても「謎」だらけです。

ぺルーは南北縦に長い国ですが、その海岸沿いは砂漠気候です。ナスカ平原では年間、ほとんど雨は降らず、結果平原の小石は照りつける太陽光線によって黒く変色していきます(砂漠漆という)。この黒く変色した小石をどかすと下から変色していない白い小石が現れます。ナスカの地上絵は白い小石を露出させ、黒い小石とのコントラストによって動物や線や幾何学図形を表しているのです。20世紀に入り、航空技術が発達してからようやく「発見」された謎ですが、誰が何のために作ったのか、は諸説あるもののどれも決め手を欠きます。この謎を解き明かしたいという挑戦者はこれかも数多く現れるでしょうが、目的を果たす人は現れない、そんな予感がします。多くの仮設を読むと、謎を解こうとして、結局のところ自分の世界観を投影しているに過ぎない人が少なからず見受けられるからです。1000年以上の昔、地上絵を実際に作成した古代ナスカ人の視点に立たなければ、作った必要性や理由や目的は視えてこないのではないか?これからも多くの人を惹きつける、魅力的な謎のままのような気がしてなりません。 Photo_3 Photo2008_06080167

| | トラックバック (0)

2009年8月11日 (火)

インティプンクへの道 ペルー旅行日記①

 ペルーから帰って早くも3週間。記録をつけておかないと、せっかくの記憶が風化してしまう。
 今回の旅行の最大の目玉、マチュピチュ遺跡はアンデス山脈のほぼ中央に位置し、海抜2,400mの断崖絶壁の頂に立つ建跡です。
遺跡をぐるりと取り囲むの山々の険しいこと!その険しい山の少しばかり平坦な土地は段々畑が所狭しと埋め尽くし、岩の神殿や住居跡の立ち並ぶ遺跡は圧巻の一言です。今回は、山の変わりやすい天候と、体調のことを考慮して2日間連続して日程を組みました。一日目は天気に恵まれて7月の真冬のはずが気温は日向で30度近くにもなり、日焼けをするほど。ところが2日目は打って変わって太陽は顔を出さないわ、霧で周囲は見えないわ、山の天気の不安定さにビックリです。晴れと霧の二つのマチュピチュを拝めたのはラッキーでした。
インティプンクとは、ケチュア語で「太陽の門」を意味します。現在は新しい通り道が作られていますが、従来、マチュピチュに外部から侵入するにはこの門から入るしかなく、侵入者を見張る重要な門でした。この門は遺跡から1.5キロほど、山の頂に沿って古代のインカ道を歩いた先にあります。標高はマチュピチュより高く、上から全体を俯瞰する眺めは素晴らしい。
インティプンクへの道は石畳で整備されているものの、慣れない高地トレッキングでへとへとになった先に堪能できた眺めは一生の思い出です。
マチュピチュ行きを考えている方はなるだけ体力のある若いうちがお勧めです。遺跡にはご年配の観光客はろくに見当たらず、若い人ばかり。体力のいる遺跡です。
 そして、旅行先にも持っていったタロットカードで、この日引いた一枚は「ワンドの4の逆」。ええ、消耗しましたよ。でも文字通りの大自然の中でがっつりエネルギー補給はできました♪
Photo Dsc00132 

| | トラックバック (0)